2016年03月23日(水)

「ダビデはナタンに・・『私は主に対して罪を犯した』ナタンはダビデに言った。『主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった』」Uサムエル12:13



「自分の罪を言い表わすなら・・神は、その罪を赦し」とあり、言
い表わすとは、自分が犯した罪を「その通りです」と認めることだ。
そうするなら、神は真実で正しい方ゆえ、その罪を赦して下さる。
しかし罪の性質は、その通りですと認めたくない。プライドによる。
認めることをプライドが許さない。言い訳で自分を正当化してしま
う。

こんな罪を犯したのは、状況が悪かった、相手が悪いと思いたい。
罪を認めることは痛い。自我はどうあっても「ごめんなさい」だけ
は言いたくない。そうなら赦しを受ける事ができない。赦される喜
びを知る事もない。あるがままで主の御前に行けばよい。「認めた
くない」「自分が悪いと思えない」「でも、導いて下さい」その祈
りに主は答えられる。

悔い改める時、罪が赦される。苦しい心に、平安が戻り、喜びが戻
る。バテシバとの姦淫とウリヤ殺害の罪を犯したダビデは、「黙っ
ていた時には、1日中うめいて、骨々は疲れ果て」「御手が昼も夜
も重くのしかかり、骨髄は夏のひでりのように乾ききった」苦しみ
もだえた。しかし罪を主に告白した時、ダビデは赦された。

主との関係が回復されたダビデは「主にあって、喜び、楽しめ。喜
びの声をあげよ」と。今、言い訳と弁解に終始し、自分を正当化し
ているなら、素直に自らの罪を認めよう。全き赦しが与えられ、喜
びと安堵、大きな祝福の中に入れられる。弱さのゆえに罪を犯して
しまうが、赦されて、赦されて、歩める。
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自分は正しくそこそこ良い人間だと思いたいが、信仰人生の中で、
自分がどれほど罪人で罪が身近であるかを知って行く。けれど罪を
赦す権威を持っておられる方が赦してくださる、赦されて歩もう。