2016年04月22日(金)

「・・わたしは主。あなたをいやす者である」出エジプト15:26 





ある人が、大人になった時、自分は同性の目上の人とうまく接する
事が出来ない事に気づいた。職場の上司や、得意先や親戚や、又、
学生時代も教師に対してそうだったと。極度に緊張し萎縮してしま
う。うまく話せない。不信感を持ち、距離を置いてしまう。大変な
ストレスで苦痛である事を自覚した。

その事を祈りに祈っていた時に、御霊は少しづつ、原因が自分と父
親との関係にあると教えられた。父親は大変しつけに厳しかった。
威圧的でワンマンであり、小さい頃から絶対服従だった。恐いばか
りで、暖かい情を感じた事はなく、コミュニケーションも無かった。
思い出しても、厳しく叱られた辛い場面しか浮かばない。目上の男
性に接する時、その父親と重なって、心が固くなってしまっていた。

しかし神に目を向けた。神の愛と恵みを更に知り、味わい浸ること、
親しく交わる事を実践して行った。ひたすら切に神を求めた。祈り
に祈った。御言葉を求めた。そんな歳月の中で、神が真の自分の父
親である事、その愛を御霊によって知り、経験させられて行った。
祈りの答えであった。

父なる神の愛に、十字架の愛に触れ、心溶かされ満たされて行った。
その中で心がいやされて行った。まず、気づきから始まる。心がザ
ラつく時、平安が失せる時、祈りに持って行こう。主との交わりの
中で、御霊は気づきを与えて、一つ一つ教えて行って下さる。そし
ていやして下さる。
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状況の奥にある本当の問題は何か、主に尋ねていこう。目の前に来
る煩わしさを追い払ってばかりいるが、主に癒してもらいたい所は
どこだろう。