2016年05月23日(月)

「まことに、あなたがたに告げます。わたしはイスラエルのうちのだれにも、このような信仰を見たことがありません」マタイ8:10



主のもとに、一人の百人隊長が、中風のしもべのいやしを求めて来
た。この隊長は異邦人であり、しもべとは当時は奴隷であって、奴
隷のために心を砕き、配慮するとは、神を畏れる愛情深い人物であ
った。自分の家に来てもらう資格もないので、ただお言葉を下さい
と。そうすればしもべは直りますからと。へりくだった態度であり、
そして彼は、神の言葉は必ず成就すると確信し、信頼しきっていた。

主は、彼の信仰に驚き、感心し「このような信仰を見たことがない」
と言われた。彼も権威の下にあるので、神の権威がよく理解できた。
例えば、警官は車を誘導し、止めたり、動かしたりする事ができる。
運転手はそれに従う。それは、警官に権威が与えられているからだ。

そして百人隊長は、更に最たる神の権威を認めていた。だから、そ
の神の言葉の権威をも認める事ができた。主は「さあ行きなさい。
あなたの信じたとおりになるように」との言葉を与えられた。する
と、丁度その時、しもべはいやされた。神の言葉には、力と権威が
ある。霊でありいのちだ。神の言葉はすべて必ずその通りに成る。

私たちは、その権威と力のある神の言葉をどのように聞いているだ
ろう。うわの空で聞いて、適当な受け止め方だろうか。神の言葉を
祈りをもって真剣に聞き、語られた言葉に、信仰をもって応答する
事が大切だ。今、語られていたなら、信じて従おう。
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目の前で奇跡を行われる主にのみ期待し、押し寄せている群衆とこ
の百人隊長の対比に学ばされる。主の御言葉の権威を信じ、畏れを
もって一つ一つに謙遜に応答しているだろうか。