2016年10月23日(日)

「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちで す」ヨハネ6:63


ある人が、特別厳しい試練に会った。辛く苦しいものだった。何を
していても、その問題がずっしりと迫って来て、押しつぶされそう
だった。心は暗く、重く、沈んでいた。先が無いように思えるほど
だった。楽しいはずの時も、全く楽しくなかった。

心は打ち沈むばかりだが、そんな中、聖書の学びの中で、御言葉に
立つよう教えられた。それに従って、御言葉を思い起こして行った。
「神は愛」「万事益とされる」「ご計画がある」「耐えられない試
練はない」「脱出の道がある」「試練をこの上もない喜びとせよ」

「後に平安の実を結ぶ」「主はしようとしていることを知っておら
れる」「災いではなく、平安と将来と希望のためのもの」・・様々な
御言葉が次々と浮かび、御言葉に思いを馳せ、御言葉に浸った。す
ると不思議が起きて、心が引き上げられて行った。

御言葉を思い巡らしていた時に、主から与えられた試練であり、必
ず良くして下さるから、受け止めようと思えた。御言葉を反すうし
ていると、その御言葉から平安が流れ出て来ることを感じた。信仰
が起きて来るのだ。大丈夫だと思え、主を信じて行こうと思えた。

あんなに押しつぶされそうだった心が変えられている事に驚いた。
結果、厳しい試練であったが、解決が来た。しかし、新たに主を知
り、主に出会えて、その試練を心から感謝できた。

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御言葉に導かれる事は、御霊に導かれる事であり、御言葉を心素直
に受け入れて、御言葉を信じて行く時に、心が解き放たれて行く。
自分の頑張りでなく、心が変えられる事を経験する。そこに御霊が
働かれるからだ。何より神の愛に触れて行く。