2016年11月22日(火)

「まして、わたしはこの大きな町ニネベを惜しまないでいられようか・・右も左もわきまえない十二万以上の人間と数多くの家畜がいるではないか」ヨナ4:11


ヨナは、「ニネベに行き、これに向かって叫べ」と主から命令を受
けたが、敵国であるニネベに行きたくない。神に敵対するひどい民
は滅びて当然ではないのか。それで「主の御顔を避けて」タルシシ
ュへ逃げようと、ヨッパに行った。すると、丁度、渡りに船とばか
りに、タルシシュ行きの船があり、「主の御顔を避けて」それに乗
り込んだ。

私たちもどうだろう。時に、あるだろうか。御心がわかっているが、
従いたくなくて、渋っている時、それがまた丁度、具合良く反対方
向の船があるものだ。ヨナは、神の命令に従わず、反対方向の船に
乗った。私達も経験する。御心がわかっているが、それがどうして
も嫌で、したくない時どうだろう。何とか逃れたいと思う。

だが、御心から逃げる事は、「主の御顔を避け」ることだと言って
いる。ヨナは嵐に会い、海に投げ込まれたが、大きな魚が備えられ
ていた。その魚の腹の中で、主に向き、切実な祈りを献げる。する
と主がヨナを出された。再び、主の示しが臨み「ニネベに行き、わ
たしのことばを伝えよ」と。主のあわれみは尽きず、尚もヨナを用
いようとされる。

ニネベに行き、ことばを伝えると、人々は神を信じ、何と王が悔い
改めた。それを見た神はあわれみ、裁きを止められた。悪を裁くの
が神ではないのか。納得行かず、不機嫌なヨナを、神は愛をもって
説得されて行く。神はヨナを愛し、人々を愛しておられる。神のご
性質は愛だ。
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あんな罪人は・・と神の恵みが届くことに拒絶反応を感じることが
あるが、神のご愛は私に注がれたように人知を超えて変わらない。
そのために用いられることは感謝だ。今、従いたくない所へ導かれ
ているだろうか。