2016年12月23日(金)

「別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ」マタイ13:8


聖書を読んで祈ることを、デボーションを、いつも勧められるので、
聖書を読まなくてはと思う。そのため聖書を開くのだが、読みなが
らも、他の思いが入って来る。その内に、あれやこれやと思いはさ
まよい、結局、何を読んだのかわからない。時間ばかりが過ぎて行
く。背後にサタンが働いているが、自分の内側はどうだろう。

実は固い心がないだろうか。たいして頼らずとも、自分でやって行
けるので、そこまでの真剣さがない。又、神の言葉を聞きたくない
のかも知れない。自分の計画や強い思いがあって、どうしても手放
せない。違う御心を示されても困る。出エジプト時に、パロはイス
ラエルの解放を頑なに拒んだが、自分の内にもそのパロがいる。

ある人は忙しい日々に、時間が無くて聖書が読めないと思っていた、
時間さえあれば、時間が欲しいと。しかし突然の休暇が来た時に、
大喜びで行楽へと向かい、聖書など全く飛んでいた。時間の問題で
ない事を示され、自分の問題である事を認め、悔い改め、祈りに持
って行けた。

そして、いばらの地のごとく、世の思い煩いや、肉の思い、欲は、
御言葉をふさいでしまう。祈りと御言葉をことさらに嫌うサタンが
強く妨害して来る。心を御霊に探ってもらい、妨げているものを気
づかせられるよう祈ろう。御言葉が種なら、結実のためには、どう
しても種が蒔かれる事が必要だ。素直な地とされるよう、主は助け
て下さる。
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御言葉が生きて働くことを妨げるのはどの過程だろう。多くの御言
葉が今まで豊に与えられ、これからも備えらている。素直な開かれ
た心で向き合い慕い求め成長していこう。