2017年05月23日(火)

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」Uコリント5:17



ある人が、主を信じクリスチャンになった。生まれつき非常に真面
目な性質で、更に真面目に信仰生活を送りたいと願った。懸命に御
言葉を守ろうとした。世の快楽は止め、罪からは極力遠ざかり、聖
書を読む事に励み、怒りは抑えて、感情的になる事も自制した。あ
るところまでは、出来たのだが、ついにストレスが高じて、体調を
崩してしまった。

床に伏せって、色々考えざるを得なかった。良い事を、善をして来
たのに、このストレスは何なのか。信仰の先輩が見舞いに来てくれ
て、様々な事を話せて交われて、アドバイスをしてくれた。自分は、
肉で、御言葉に従っていた事、肉で、一生懸命に実行してようとし
ていた事が示された。

自分はすでに新しくされており、御霊の内住があり、新しい自分と
されている。それにもかかわらず、古い自分の力や知恵や判断で、
必死に従おうとしていたのだと。新しくされているのに、御霊によ
ってでなく、自分の力で歩んでいた。つまり新しいぶどう酒を、古
い皮袋に入れていた。だから張り裂けてしまった。頑張りが、はじ
けてしまった。

自分はすでに新しくされている。委ねて、御霊に導かれて、御霊の
力によって、歩む事が新しい皮袋に入れて歩む事だと教えられた。
その中で、更に新しい者へと変えられて行く。すでに新しい自分、
御霊が内住している自分、そこから始まるとは、何と幸いな事だろ
う。
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すみずみまで良い行いをすることで安心したい肉がある。自責で苦
しくなる時、主を信じ救われた時に与えられた喜びを思い出したい。
完全な罪の赦しと、主によって導かれて歩めるのだとの喜びに感謝
した。その喜びは今も溢れている。