2017年06月22日(木)

「人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように」Tサムエル24:19



サウル王はダビデをつけ狙い、殺意を持って追い続けた。ある時ダ
ビデ達は、ほら穴の奥にいた。それを知らずに、サウルはそこで用
をたした。もしこの時、ダビデが見つかっていたら、殺されていた
だろう。しかし「サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデを
サウルの手に渡さなかった」と、神はご自身の主権と支配によって
ダビデを守られた。

ある時、サウルは、ほら穴で眠ってしまった。ダビデの部下は、今
こそが神からの好機、千載一遇のチャンスと、ダビデにサウルを打
つよう進言した。しかしダビデは「油注がれた方に対し、主の前に
絶対にできない」と手出しせず、サウルの上着のすそをこっそり切
り取った。その事ですらも心を痛めた。

そして部下を説得しサウルを襲う事を許さなかった。ダビデは神を
畏れ、神を信じていた。サウルはダビデを狙い回したが、ダビデは
決して反撃しなかった。サウルに、ひれ伏し、わざわざ自分の非を
詫びた。そして自分はずっと無実であり、この時にも手を下さなか
った事を、認めて貰えるよう願った。

被害者が加害者を赦し、へりくだって、お願いするという驚くべき
ダビデの姿だ。「サウルは声を上げて泣いた」が、この後もサウル
の妬みは去らず、悪化の一路を辿った。しかし闇の中で、光が輝く
ように、嫉妬、悪意の中で、その信仰は、ますます輝きを増す。
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神を畏れない高慢は、感情の虜となり誰の目にも明らかな愚かさを
撒き散らしていく。ダビデのように神の秩序のゆえに身を低くし、
わきまえていたい。それこそ信仰の勝利だ。