2017年08月23日(水)

「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから」エレミヤ29:7


                  
       
エレミヤの時代、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連
行された。しかしそのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼされ、
国々は滅ぼされ、とうとうユダも、バビロン捕囚の身となった。当
時のユダは神から離れ、偶像礼拝に走り、堕落していた。

預言者たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉を語り、平安が無い
のに「平安、平安」と。しかし、神の人であるエレミヤは、真っ直
ぐに耳に痛い言葉を語った。そのため苦しめられた。バビロン捕囚
のさ中、真っ暗な中で、エレミヤは、それは一見「災い」としか見
えないが、「平安と将来と希望」のためのものだと告げた。

すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰をすえて生
活せよと、そして、敵である「その町の繁栄を求め、そのために主
に祈れ」と。それは自分達の繁栄になるからと。

私たちも苦しみの時、一番欲しい言葉は「即、問題解決」「即、悩
みから解放」だ。しかし、口先だけの励ましは、更に傷を深める。
私たちも、足かせのような苦しい現状を受け入れる時、その中で神
からの支え、励ましにより生きて行けるという事だ。

現実を受け入れる事が大切だ。いつまでも苦しみのままでなく「70
年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」。現状を受け入れて、そ
の中で神に従って行こう。そこに「平安」が約束されている。そし
て神の時に、かせから解放して下さる。
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痛むことも忍耐もなく解放を求めて次々と移り歩くならご利益を
求める世の宗教と同じではないか。私たちの神はご計画をもって
働かれていることを災いの中に認めていくことから祈りたい。