2017年09月22日(金)

「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい・・自分の宝は天にたくわえなさい」マタイ6:19


「宝」とは富、金銭に限らない。名誉、地位、能力、人の評価、人
の称賛・・、とにかく、その人にとって非常に重要な大切なものの
事だ。命ほどに大事なものだ。そして、財産、富、栄誉、称賛、能
力、それ自体は別に悪いものではない。決して罪でも悪でもない。
しかし、主はそれらを拠り所とし、それに頼り、依存し、人生の判
断基準とするなと言われる。

「自分の宝は、天にたくわえよ」地上のものに執着するのでなく、
神に望みを置き、天国とそこでの素晴らしい報いに望みを置くよう
にと。その理由は、「虫とさびで、傷物になり」地の宝は虫やさび
でだめになり、朽ちてしまう。上等の大切な衣服が、虫に食われて
しまった経験があるだろう。地の物は虚しい。

そして「盗人が穴をあけて盗み」名誉、地位、賞賛は永遠ではない。
金銭を持って死ねない。持って行けない。永遠のためには何の価値
もない。又「あなたの宝のあるところに、あなたの心もある」これ
は重大だ。宝が地のものであれば、心は地に縛りつけられたままだ。
神に向く事はない。「貪欲」は底がないので、幾ら手にしても満足
が無い。常に足らない。

満ち足りるという事のない虚しい罪だ。逆に言えば、心を神に置き
たければ、あなたの宝であるものを、時間、富、労力を、神に献げ
て行けばよい。そうすれば、必然的にそこに心がついて行くことに
なる。心は今、どこにあるだろう。あるがままを告げ、天へと向け
られるよう、祈ろう。
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信仰より他のすべては捨ててやがて天へ行くと覚え、今日を生きる
ことが大切だ。地上のものに執着する思いをまず認めたい。主に渡
しながら今の自分、環境に感謝をもって歩みたい。