2018年04月22日(日)

「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」T列王17:1



エリヤは、飢饉の折りに、最初ケリテ川でカラスに養われた。カラ
スが食べ物を運んで来た。川の水が枯れた時に、次に、主から「ツ
ァレファテのやもめに命じて、あなたを養うようにしている」と指
示があった。やもめに養われると聞いたので、どんな資産家のやも
めかと思ったろう。

ところが、このやもめは人を養うどころか、食料も底をつき、最後
のパンを食べて、後は死を待つだけという、驚くべきところにいた。
彼女のたった一人の生きがいであり、命であった息子に、もう食べ
させる物がないという悲惨な状況だった。人間的に考えるなら、と
ても自分のためにとは言えない。もっとふさわしい他の人を探すか
も知れない。

しかしエリヤは状況でなく、主に従った。「恐れてはいけません」
「まず、私のためにパン菓子を作り、持って来なさい」と。そうす
るなら「そのかめの粉は尽きず、そのつぼの油はなくならない」と。
やもめは、信仰を試された。もしそのようにならなければ、息子に
最後の食事を与えられないまま、餓死させる事になる。

しかしエリヤの言葉を信じて、その通りにすると、かめの粉は尽き
ず、つぼの油は無くならなかった。奇跡が起きた。神の国とその義
とをまず第一にするなら、それに加えて、必要は満たされる。その
時に、「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる」を
経験して行く。
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人間的に見れば「まず、私のために」とは言えない状況だが、主が
永遠の与え主だ。主と御言葉に寄り頼むことで難局は解決された。
自分の判断はいつも信仰の成長の邪魔をするが惑わされず生きて
おられる主に立とう。