2002年08月23日(金)

「私たちが神の子どもと呼ばれるために・・御父はどんなにすばらしい愛を与えてくださった事でしょう」(Tヨハネ3:1)

 受けた親切を思い起こしてみるのは良い事だ
ある時、バスに飛び乗り、小銭の全くない事に
気づいた。大きな札しかなく困っていたら、す
ぐそばに座っていた老婦人がニコニコして綴り
の一枚をちぎって手渡してくれた。
「あの・・でも・・」と戸惑っていると、笑顔で
「困った時はお互い様、どうぞ」。車が道路上で
故障した時、走行不能とわかると、安全な場所
まで牽引してくれた見ず知らずの人。
一つ一つの親切を思い起こす時、一方的に無条
件に与えられた好意。なぜ?私に?与えられる
筋合いは無い。ただただ感謝の思いで一杯にな
り、感謝の思いで溢れる。
では、救い主の親切は?神は私達に何をして下
さったのか。
受けるに全く値しない私達に何をして下さった
のか。側り知れないそのご愛、親切、好意、
今一度改めて感謝しようではないか。