2018年06月22日(金)

「また立って祈っているとき、だれかに対して恨み事があったら、赦してやりなさい。そうすれば天におられるあなたがたの父も、あなたがたの罪を赦してくださいます」マルコ11:25



信仰を持って祈る時、素晴らしい約束が与えられている。「祈って
求めるものは、何でも、すでに受けたと信ぜよ」と。その願い通り
に叶えられると。だが続きがある。誰かに対して恨み事があるなら
赦してやりなさい。そうすれば、天の御父も、あなたがたの罪を赦
して下さる」と。

恨み事を赦す事が言われている。赦さない心は、祈りを妨げてしま
う。神があなたを赦して下さったのだから、恨み事のある相手を赦
しなさいと。私たちは、しょっ中、失敗する者だ。ほんとに失敗ば
かりだ。しかし主は豊かに赦し続けて下さっている。罪を犯さない
のではなく、弱さのゆえに罪は犯すが、赦されて赦されて生きてい
る。

だから、私たちも赦すべきだと。まず恨みや、憎しみや赦さない心
があると、主と私たちの間にへだたりができて、祈れなくなってし
まう。確信持った祈りができない。ある人が、切実な必要があり、
神の御前に出て祈っていた。しかし、幾ら祈り続けても与えられな
い。尚も祈っていると、その中で、心の奥にある人に対し、恨みと
苦々しい思いを持ち続けている事を示された。

これが妨げとなっている事を示され、心から悔い改めて、赦した。
その後、祈りが見事に答えられた。赦さない心は、祈りを遮ってし
まう。祈りの答えを受け取るために、隠れた恨み、密かな赦さない
心がないかどうか、御霊に探って頂こう。取り除かれる時、すでに
得たりと信じる事ができ、確信が来る、そして祈りは答えられる。
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祈るときはまず自分の罪の赦しを祈るのではないか。人に対する恨
みがあるなら赦せるようにの祈りから始めたい。恨みや憎しみの感
情を主に渡して、真っ直ぐに主に向かおう。