2018年07月23日(月) 「エサウは父に言った。『お父さん。祝福は一つしかないのですか。 お父さん。私を、私をも祝福して下さい。』エサウは声をあげて泣 いた」創世記27:38
「エサウは父に言った。『お父さん。祝福は一つしかないのですか。 お父さん。私を、私をも祝福して下さい。』エサウは声をあげて泣 いた」創世記27:38
イサクは長男エサウに祝福を授けようと、獲物を料理して持って来 るようにと言った。それを聞いた母リベカは、弟ヤコブにこそ、そ の祝福をと画策した。視力の衰えているイサクを巧くだまして、イ サクはヤコブをエサウだと思い込み、祝福を授けた。 そこにエサウが戻り、事の次第を知った。イサクは激しく身震いし、 エサウは大声で泣き叫んだ。企みを知ったエサウは怒りに燃え、ヤ コブを殺そうとした。そのためヤコブは家を出て、遠く伯父のもと へ身を寄せる事態となった。家族同士が争い、傷つけ合い、いがみ 合い、家庭崩壊だ。 どこに問題があったのか。父イサクは「兄が弟に仕える」との神の 御心が示されていたのに、自らの肉の思いでエサウを偏愛した。リ ベカも、ヤコブが継ぐ事が御心なら、神を信じ、神の主権のもと、 神がされる事を待っていればよかった。しかしヤコブを溺愛し、肉 で動き、狡猾に画策し祝福を奪った。 ヤコブも神の計画を信じ、委ねるのでなく、母親に言われるがまま に父をだまし、自力で奪い取った。エサウは長子の権利を豆の煮物 と引き換えた。「長子の権利を売った俗悪な者」とあり、彼は長子 の権を軽んじた。皆が、神を仰ぎ、従うのではなく、自己中心に、 肉の思いで動き、招いた結果だった。親子、夫婦、兄弟関係に亀裂 が入り、ぐちゃぐちゃだ。 神は大きなご計画の中で、これらすべてを益として行って下さった が、しかしここで学ぶ事ができる。肉で、自分の思いで動き、自分 の力で遂げて行くのでなく、神の主権を認めて、神を待ち望み、委 ねて歩む事がいかに祝福であり、どんなに大切かを。 ・・・・・・・・・・・・ 信仰人生、主の御心が成し遂げられて行く。そして見えるところは どうであれ、主の御心が私たちにとって最善のものだ。ところが肉 の目には、自分の思いや欲が入ると違って見えてしまう。それだか らこそ、自分自身を主に委ねて歩めるよう、祈ろう。