2018年09月22日(土)

「にせ預言者たちに気をつけなさい。彼らは羊のなりをしてやって 来るが、うちは貪欲な狼です」マタイ7:15


主は「さばくな」と言われると同時に、「見分けよ」と言われる。
裁くことと、見分ける事は別の事だ。目の前の人物や事柄を識別し、
評価し、判断することは大切だ。「聖なるものを犬に与えるな。豚
の前に真珠を投げるな。それを足で踏みにじり、向かって来て、引
き裂く」と。犬や豚をきちんと「見分け」なければ、どうして主の
命令に従えるだろう。

識別力を行使しなければ、「聖なるものを与えるな」と命令されて
いる、犬や豚を判断することは不可能だ。又「霊だからといってみ
な信じてはならない」と言われている。世の終わりには、多くの偽
預言者、偽クリスチャンが出て来る。何もかも受け入れて、信じて
はならないと。この世にあっては「蛇のようにさとく、鳩のように
すなおで」あれと。

では「さばき」はどうだろう。人を「さばいて」いる時は、自分の
内に密かな優越感がある。上に立って、相手を見下している。そし
て自分は義であり善だ。又、相手の非や足らなさ、失敗を見た時に
快感があるなら、それは肉であり、さばきだ。それは「さばいては
いけません」を犯している罪だ。肉は、妬みや敵対心のある相手の
失敗を喜ぶものだ。これは生まれつきの肉の性質だ。罪の性質でも
ある。

又、肉は批判が大好きだ。自分の内に誰かに対するさばきがあるな
ら、悔い改めよう。そして、さばきと見分ける事を区別して、光の
御使いに偽装して来る偽預言者、偽クリスチャンがいると御言葉が
言っているので、見分ける事ができるよう祈り求めよう。「さば
き」と「識別」を混同してはならない。

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はっきりとサタンがいるし、偽教師がいて、偽者がいると御言葉が
言っている。識別せよと言われている。自分自身は絶えず御霊の光
に照らされて、罪を悔い改めて、悔い改めて歩もう。そして識別力
が与えられるよう、祈っていよう。