2018年11月22日(木) 「わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日・・彼らは、わたしが主であることを知ろう」エゼキエル24:25
「わたしが、彼らの力とするもの、栄えに満ちた喜び、愛するもの、心に慕うもの、彼らの息子や娘たちを取り去る日・・彼らは、わたしが主であることを知ろう」エゼキエル24:25
私たちは、神以外のものに執着すると、神が見えなくなってしまう。 太陽の前に10円玉を置くと、あんなに大きな太陽が全く見えなくな るように。そのように、神の前に置いたものは、偶像となってしま う。主を裏切ったユダは、主の前にお金を置いたばかりに、主が見 えなくなった。 金持ちになりたがるなら、誘惑と罠に陥り、破滅と滅びへ向かう欲 に陥るとある。「金持ち」とは金銭だけでない。地位、名誉、賞賛、 評価、人の上に立ち、人を支配したい欲であり、自分が認められた い欲望だ。その欲は、悪魔の誘惑と悪魔の罠に陥るとある。信仰か ら迷い出てしまう。そして迷い出ていて気づかない。 クリスチャンになれば、石や木の神を拝む事などまず無い。気をつ けるべき偶像は目に見えないものだ。飲酒やギャンブルならすぐわ かるが、それが麗しい、愛するもの、慕わしいもの、喜ばしいもの、 良いものであると気づかない。握り締めて放さないものがあるだろ うか。神より大切になってしまっているだろうか。 自分の内に偶像がないか、御霊に探って頂こう。そのままにしてお くと、ユダではないが命取りになってしまう。主のもとに行き、主 に告白し、偶像を献げよう。きよめられ、主がはっきりと見えて来 る。10円玉が除けられると太陽がくっきり見えるように。その時、 ぼんやりしていた、神の御声が聞こえ、信仰に前進できる。 ------------- 心に慕うもの、活力としているものの光で、簡単に主が見えなくな ってしまう。主に慰めや助けを求める時は、足りない自分を認めた ときだ。与えられている物ばかり見ていないか探っていただこう。