2019年04月22日(月)

「そのとき、雲は会見の天幕をおおい、主の栄光が幕屋に満ちた」出エジプト40:35



出エジプト記は、ヨセフを知らない新しい王が、民を苦しめるとこ
ろから始まる。民は苦役にうめき、叫び、その苦しみの叫びは神に
届く。そして記事の最後は「主の栄光が幕屋に満ちた」で終わって
いる。主は幕屋を作るように命じられた。「わたしのために聖所を
造るなら、わたしは彼らの中に住む」と。

それはアロンとアロンの子たちを祭司として任命し、聖別し、その
所で、罪のための全焼のいけにえを献げさせるためであった。律法
を与えると同時に、律法が示す罪への解決、罪のための贖いを備え
られた。そして幕屋は、彼らの間に住むために与えられたと。

神が、民の間に住むことが、民をエジプトから出された目的だと言
っている。「彼らは、わたしが彼らの神、主であり、彼らの間に住
むために、彼らをエジプトの地から連れ出した者であることを知る
ようになる。わたしは彼らの神、主である」と。苦難のエジプトか
ら出されたのは、主が民と共に住むためであった。

新約では「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」そして
「この方の栄光を見た」と。また「わたしにとどまりなさい。わた
しも、あなたがたの中にとどまります」、「わたしはぶどうの木で、
あなたがたは枝」と。「とどまる」=「住む」、主と一つであると。

そして将来の最終的、新天新地で「見よ。神の幕屋が人とともにあ
る。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる」と。苦役の奴隷
であった民、罪の奴隷であった私たちが救い出されて、主が住まわ
れる。何という光栄、喜びだろう。
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主は誰よりも身近におられ、語り祈りを聞かれる。朝ごとに主の前
に立てることは何と感謝だろう。そしていつの日か朽ちない身体で
主に見える日が来る。