2019年05月23日(木) 「種を蒔く人が種蒔きに出かけた・・良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい」マタイ13:3
「種を蒔く人が種蒔きに出かけた・・良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。耳のある者は聞きなさい」マタイ13:3
種はみ言葉、土地は私たちの心だ。4つの地に御言葉は蒔かれたが、 結果がそれぞれ全く違った。結実する人生は、どのように御言葉を 受けとめるか、私たちの心にかかっている。道ばたの心は、御言葉 が心に入っていない。偏見や自分の思いが強く御言葉をはじいてし まう。心に入らないので、芽の出ようがない。 薄い岩地の心は、一旦芽を出すが、自我が強く、頑なで自我の岩に ぶちあたり根が張れない。自分に都合の良い範囲の信仰で、犠牲を 払ってまで、自分を変えてまで従う気はない。いばらの心は、御言 葉が入り、芽を出し伸びようとするが、同時にいばらも伸びて、芽 をふさぎ、邪魔をする。 いばらは、世の心づかいと富の惑わしで、それらが芽をおおいふさ いでしまう。人からどう見られるか、人から良く見られたい思いが 根深く、又、金持ちになりたい誘惑は非常に強く、信仰を枯らして しまう。良い地は、砕かれた心だ。強い自分の思いを捨て、御言葉 を聞き従おうとする。自分の思いを遂げるのでなく、御言葉により 自分が変えられようとする。 自分を砕いてでも、従って行こうとする。その時、100倍の実を結 ぶと。素晴らしい祝福にあずかる。どんな態度で御言葉を聞いてい るだろう。御言葉の種が、心に根を下ろさない限り、結実は不可能 だ。今、心に語られている御言葉に、聞き従おう。一歩、前に進ん で行ける。 ------------- 御言葉にはいのちがあるから人生を大きく変える。御言葉の種があ る限り、いつでも新鮮な芽が出て成長できる。確かに見ているが、 決して悟らない者にならず、御言葉を大切に受けとめ従おう。