2019年06月22日(土)

「夕、朝、真昼、私は嘆き、うめく。すると、主は私の声を聞いて くださる」詩篇55:17



信仰生活で、苦しみの時、悲しみの時、辛くてたまらない時を経験
する。必ず通る。そんな時、どうすればよいのか。詩篇記者やダビ
デを通して学ぶ事が出来る。ありのままの気持ちを率直に主に告げ
て祈っている。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか」
「なぜ御顔をお隠しになるのですか」「なぜあなたは私を拒まれた
のですか。なぜ私は敵のしいたげに、嘆いて歩き回るのですか」

「まことに私のいのちは悲しみで尽き果てました」「私のたましい
は悲しみのために涙を流しています」「私の目から涙が川のように
流れます」「私のたましいは御前で絶望しています」。嘆き、悲し
み、苦しみ、いら立ちをそのまま訴えている。感情を抑え込むので
なく、我慢するのでなく、無い振りをするのでなく、ありのまま主
に持って行っている。

詩篇記者は、心の奥の思いも、感情も、思いのたけを十分、主に吐
き出して、受け止めていただいた時に、変えられている。嘆き、怒
り、恐怖、悲しみ、憂いが、主への感謝と賛美に変わっている。
「主よ。いつくしみ深いあなたの御名に感謝します」「私の心はあ
なたの救いを喜びます」。まず祈りにより主に向くことで、問題や
状況から、目が主に転じて行く。

そこに主が働かれ、心にみわざをされる。主と交わる時に、問題、
悩みに飲み込まれていた心が、上を向き、信仰の目を持って、問題
を見るようにされる。変わらない愛で愛されており、万事益であり、
ご計画があり、最善をして下さる、神視点へと導かれる。

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苦しみ、悲しみ、嘆き、不満、怒り、失望・・ダビデは率直にそのま
ま祈っている。どの箇所も、その後が賛美と感謝に変わっている。
祈りに持って行く時、主に向いている。状況と自分しか見ていない
目が、主に向き交わる時に、状況変わらずとも心が変えられて行く。