2019年10月23日(水)

「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう」マタイ6:22



目は澄んで、健全でなければならない。悪い目なら、物事をまっす
ぐ見る事ができない。それなら正しい判断ができず、目が悪いと道
に迷ってしまう。健全な目とは、霊の目のことであり、純真で二心
がなく、単一で、シンプル、シングルアイ、一つの事に集中してい
る目だ。主に心が開かれた目だ。そして一心に主を見つめている目
だ。

「だれも、二人の主人に仕えることはできません」とあり、しもべ
が仕える主人は一人で、二人の主人はいない。「神と富に仕えるこ
とはできない」。神と富のどちらもでなく、二者択一だ。神に集中
している目だ。目が悪いとは、視力が弱いという意味でなく、濁っ
ている、よこしまな目であり、地上のものに執着する貪欲な目だ。

自分のために、自己中心でいる状態であり、その目は妬みや劣等感
で歪み、又、見栄や体裁に捕らわれ、自分の欲に振り回されてしま
う。そして主に対して心が閉じられた目だ。又、富は、宝の意味で
あり、金銭だけでなく、名誉、地位、人からの賞賛、有形、無形の
自分にとって大事なものだ。色々な事に執着したり、あれもこれも
と振り回されている時、神が見えていない。

その結果、様々な思い煩い、不安、恐れにさいなまれてしまう。ど
うすればよいのか。まずシングルアイでなく、二心である事を認め
て、主に助けを求めよう。主は助けて下さる。心にある様々な歪み
を指し示し、捨てたり正したりし、矯正しつつ、必ず御心へと導い
て下さる。
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肉の目に映る現実だけが現実のように思え、本当に助けとはならな
い物を求めてしまう。主を頼るといいながら自分で何とかしようと
右往左往していることを主に認めたい。主だけを見つめることがで
きる霊の目を祈ろう。