2019年11月22日(金)

「私の口のことばと、私の心の思いとが御前に、受け入れられますように。わが岩、わが贖い主、主よ」詩篇19:14



主は、人前で善行をするな、右手のしている事を左手に知られるな、
と言われた。施しが隠れているように、自分の善行を人に知らせて
はならないと。しかし、同時にあなたの光を人々の前で輝かせ、人
々があなたの良い行ないを見て、天におられる父を崇めるようにせ
よ、とも言われた。人前で良い行ないを輝かせよと。

一方は知らせるな、一方は知らせろと、これは正反対ではないのか。
どう違うのか。ここで言われているのは、動機の問題で、動機がど
うかという事だ。自分が認められ、ほめられ、自分の栄光のために
しているのか、それとも主のために、主を喜ばせようとしているの
かだ。主ではなく、自分を喜ばせるためにする善は偽善だ。パリサ
イ人の善行がそうだった。

人の前で自分を正しいとする事であり、人の間で崇められる者は、
神の前で憎まれ、嫌われると主が言われた。人前でなく、神の御前
で生きる事、人の目でなく、神の目を意識して生きる事が言われて
いる。誰しも皆、人を意識して生きている。目に見えない神よりも、
目に見える人からの評価や賞賛が欲しい。人前で体裁を繕い、良く
思われたい。

目に見える世界が大事であり、すべてとなり、主を無視してしまう。
サタンの誘惑だ。目に見えない主の御前で生きて行く事は、まさに
信仰によるのであり、これも自分では出来ず、御霊の助けと導きに
よることだ。祈って行こう。主に自分を明け渡して行く時に、助け
られて、「御前に」受け入れられる事を求めて行ける。
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クリスチャン生活、悪い事はためらっても良い事は動機を探らずや
ってしまう。動機はと問いかけてみるならどうだろう。心を見てお
られる神の御前を生きよう。