2019年12月23日(月) 「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
「すべての懲らしめは、そのときは喜ばしいものではなく、かえって悲しく思われるものですが、後になると、これによって訓練された人々に平安な義の実を結ばせます」ヘブル12:11
人は苦しみに会う時に、二つの反応に分かれる。苦難により、より 良くなるか、より悪くなるかのどちらかだ。一方は患難により砕か れ練られ、信仰が培われ、品性が磨かれ成長して行く。他方は、苦 しみにより反抗し、心を屈折させ、苦々しい思いを持ち、頑なにな り神から離れて行く。どちらも自らの選択だ。 ヨセフは兄達に隊商に売られ、奴隷としてエジプトへ。突如の厳し い試練に直面した。だが自分を見失わずに、主を見上げた。どうな ろうと主を信じていた。その場所で、主に信頼し忠実に仕えた。主 は働かれ、奴隷として仕えた主人の信頼を得させて下さった。その 後、今度は無実の罪で投獄の身に。 しかしそこでも変わらず主を見上げ、その所で仕え、模範囚に。ヨ セフはそのつど腐る事も、不信感も、疑いも、苦々しい思いを持つ 事も出来たが、御霊の導きの方を常に選択した。モーセも王子の立 場で、同胞を救おうとしたが失敗し、荒野に逃げた。そこは何も無 く、かつの栄華も地位も、名誉も富も人々の賞賛も、何一つ無い、 一見落ちぶれた場所だ。 そこで毎日〃羊を飼い、40年の歳月を過ごした。しかしモーセは腐 らず、その所で忠実に仕えた。実は主はそこでモーセを砕き、訓練 し、造り変え、指導者としての器を準備しておられた。突如の苦し みが臨んだ時も、主を見上げていよう。主にはご計画がある。 -------------- 試練は神からのものと正面から受け止めたい。共にいてくださる神 の平安をいつも覚える。試練は辛いが必ず豊かな実を結ぶ。あの試 練があったから今の私があると言える日を信じよう。