2020年01月23日(木)

「もし、私たちの願いがかないますなら、どうかこの地をあなたのしもべどもに所有地として与えてください。私たちにヨルダンを渡らせないでください」民数記32:5




ルベン族ガド族が、大変多くの家畜を持っていた。そのためヤゼル、
ギルアデの地が素晴らしく家畜に適していたので、モーセのもとに
来て、約束の地であるカナンに入らず、ヨルダンのこちら側にいた
いと願った。それに対し、モーセは、どういう事なのか。皆は戦い
に行くのに、あなた方はとどまろうとするのか。なぜ、民の意気を
くじいて、主が約束された地へ渡らせないようにするのか。

カデシュバルネヤの時もそうだった。カナン偵察から戻った斥候の
言葉で、ひどい不信仰に陥り、それは民に伝染した。主は怒られ、
ヨシュアとカレブ以外の二十歳以上の者は約束の地に入れないと。
又、同じような事をしようとするのか。家畜を増やされたのも、カ
ナンに入るためで、約束の地で生活するためだ。

主の御心はカナンであるのに、自分たちの都合が良いとの理由でこ
ちら側に定住したいとは。私たちもどうだろう。主のみ思い、御心
でなく、自分の思い、自分の願望を満たそうとしていないだろうか。
根本的に、私たちが救われたのは、主の似姿に変えられるため、聖
められるためだ。主の御心へと変えられるためだ。

それが主の御心ではなく、自分の願いを叶えて欲しい、自分の満足
が欲しい、自分自身を中心とする事へと、向きが違って来てしまう。
今、与えられているものを、一旦主に渡して、御心通りに用いるか、
それとも自分の思い通りにするか。主の喜ばれる選択ができるよう
に祈ろう。
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明確に御心が示されているなら従えるよう祈り始めたい。目の前の
安住も主の御手に守られてないなら祝福は得られない。今は自分の
思いが大切に思えると心の内も主に告げよう。