2020年03月23日(月)

「彼が近寄って来たので『わたしに何をしてほしいのか』と尋ねられると、彼は、『主よ。目が見えるようになることです』と言った」ルカ18:41



当時、目の見えない人々は、仕事など無く、道ばたに座って、道行
く人に恵んでもらわなければ生きて行けなかった。物乞いで、生活
をしていた。又、生活面だけでなく、神殿に入ることができず、礼
拝することもできなかった。そこにも差別があった。何重もの苦し
みの中にいて、何の希望も無かった。

目が見えなかったので、通行人の言葉や、道ばたで話す人々の言葉
に敏感に耳をそば立てていた事だろう。そんな中、主の様々な噂を
、主のみわざを耳にしていた。主が通られると知るや、大声で「わ
たしをあわれんで下さい」と叫んだ。周囲の人々がたしなめても、
ますます叫んだ。一生に一度のチャンスだ。これを逃せば、もう機
会は無い。必死で求めた。

主は立ち止まり、「わたしに何をしてほしいのか」と尋ねられた。
「目が見えるようになることです」と答えた。求めが、明確に、は
っきりとしていたので、即答できた。心の内にずっと培われていた
ものだろう。もし、当たりを行き交う人に「何をしてほしいのか」
と聞かれたなら、目が見えるようになどと言わないだろう。不可能
なのだから。

しかし「ダビデの子」「主」にはそれができると信じたから、叫び
求めた。「あなたの信仰があなたを直したのです」と、彼はたちど
ころに目が見えるようになった。主への求めに、主にはできるとの
信仰に答えられた。そして、神をあがめながら、主について行った。
彼の真の求めは、全身全霊で、主を礼拝することであった。
-----------
いかに盲目であるかを認めて、主をはっきりと見えるようにと求め
ていきたい。受けた恵みより主を感謝できる。日々、主を求め、心
から主を愛し礼拝する者になろう。