2020年06月22日(月) 「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」伝道の書11:1
「あなたのパンを水の上に投げよ。ずっと後の日になって、あなたはそれを見いだそう」伝道の書11:1
一見、パンを水の上に投げよ、ってどういう事かと思う。パンがだ めになってしまう事が目に見えている。パンが無駄になり、虚しく 流されてしまう。全く意味の無い、無益な行為に見える。しかし御 言葉は、それが無駄ではないと言っている。歳月がたってから、後 の日に結果が現れると。 伝道すること、証しすることは、パンを水の上に投げるように、虚 しく感じる事があるだろうか。チラシを配っても配っても、証しを しても、しても、結果が全く見えない。パンを無駄に水に流してい るように、ガッカリ徒労に感じてしまう事もあるかも知れない。す ぐに結果は現われない。しかし「ずっと後の日に」かなり月日を経 てから見い出すと。 だから「堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励み なさい。あなたがたは自分たちの労苦が、主にあってむだでないこ とを知っているのですから」「みことばを宣べ伝えなさい。時が良 くても悪くてもしっかりやりなさい」と。主ご自身が報いて下さる と。ある人は母親に証しをしていたが、信じる気配は全く無く、し かし星野富弘さんの本は感動してずっと読んでくれていた。 その母親は今際の際に、主を受け入れた。星野さんの本も証しも、 すぐに芽が出るのではないが、布石として、用いられていた事を知 った。幾らチラシを蒔いても、証しをしても無駄なように感じる事 があるかも知れない。しかし神の時に、その御言葉は生きて働きわ ざがなされる。見える所でなく、御言葉に立ち、水の上にパンを投 げ続けよう。 ----------- ずっと後の日を見つめて、少しの勇気を出して小さな証し、声かけ をしていこう。どこで成功するのかは主に委ねて、救われた自分自 身の喜びを語り続けよう。