2020年07月23日(木) 「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」Tサムエル15:23
「まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた」Tサムエル15:23
占いや偶像礼拝は、明らかに罪だとわかる。クリスチャンであれば、 しないだろう。しかし「主のことばを退ける」ことは、意識せずに 行なってしまったりする。主の言葉より、自分の思いの方を優先さ せてしまうからだ。だがそれは、偶像礼拝の罪だと言っている。サ ウルが、サムエルを待てと言われていたのに、ペリシテとの戦いで 劣勢を極め、民がおびえて逃げ出す状況に、何とかしなければと、 自分で全焼のいけにえを献げてしまった。 主の言葉でなく自分の思いに従った結果だった。また、「アマレク を打ち、そのすべてのものを聖絶せよ。容赦してはならない」との 主の命令に対して、サウルと民は、アガグと肥えた羊や牛、子羊と すべての最も良いものを惜しみ、つまらない値打ちの無いものだけ を聖絶した。明らかに主の命令に違反し、主の言葉に従っていない。 自分の思いに従い、自分の思いを優先させている。それを主は「主 の言葉を退けた」と言われた。そしてサムエルに、羊や牛の声は何 かと、問いただされた時に、「あなたの神、主にいけにえをささげ るため」と言い訳をした。そして民が惜しんだからと、民に責任転 嫁した。 主は、いけにえでなく、主の御声に聞き従うことを喜ばれる。そし て聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは雄羊の脂 肪にまさると。今、自分の思いが優先していないだろうか。自分の 良かれとの思いでなく、主の言葉に従うことを再確認しよう。 ------------ 主の御声に従う中で、肉の思いが混ぜ込まれていくと、言い訳は次 々と湧いてくる。強欲や偽善から成すことなく純粋に主の御声に従 えているか、いつも吟味していたい。