2020年08月23日(日)

「わたしも、一言あなたに尋ねましょう。もし、あなたがたが答え るなら、わたしも何の権威によって、これらのことをしているかを 話しましょう」マタイ21:24


主が、宮で教えておられた時に、祭司長、長老、律法学者達が「何
の権威によるのか」と詰め寄って来た。越権行為ではないのかと。
特権階級だった彼らは、主に脅威を感じていた。その前に、宮きよ
めをされていて、宮で売り買いする人達を追い出し、両替人の台や
鳩売りの腰掛けをひっくり返された。

彼らは、自分達こそが、教える権威と資格がある者と思っていたの
で、誰がそのような権威を授けたのかと。主はその質問には答えら
れず、逆に問われた「ヨハネのバプテスマは天から来たのか、それ
とも人から出たのか」と。彼らは互いに論じた。もし「天から」と
言えば、主イエスはそのヨハネが神から遣わされたと証ししている
のに、なぜ信じないのか、又、そのヨハネが指し示している主をな
ぜ信じないのかということになる。

又、もし「人から」と言えば、群衆はヨハネを神から遣わされた預
言者だと認めているので、群衆の目が恐い。それは、どちらもまず
いので、それで彼らは「わかりません」に逃げた。わからないので
はなく、天からのバプテスマのヨハネを、決して認めたくなかった
からだった。彼らのプライド、保身だろうか。

彼らが答えないので、主も答えられない。黙された。主に向き合い、
そして正直に自分にも向き合い、ありのままを答えるなら、主は必
ず答えて導いて下さったであろう。主に向き、心を開き、自らの罪
も、プライドも、保身も、欲も、主にありのまま告げるなら、真理
へと、真実をもって導いて下さる。

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主は私たちがどんな状態であれ、愛していて下さる。本当の私を愛
して下さっているので、偽った私は、私ではないので、主もどうも
お出来にならない。主に向いて、認めたくないならそのように、あ
りのままの気持ちを、状態を、祈ろう。その時、次の展開へと導か
れる。