2020年11月22日(日)

「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありま せん。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります」ガラ テヤ6:7


「思い違いをしてはいけません」とはっきりと言っているが、思い
違いをしてしまうものだ。人は蒔いたものを、必ず刈り取ると言っ
ている。これは法則なので、例外は無い。朝顔の種を蒔いて、ひま
わりの花が咲く事は有り得ない。朝顔の種からは、朝顔の花だ。キ
ュウリはキュウリ、キャベツはキャベツだ。蒔く種は、正しくその
蒔いた種の通りに結実する。

霊的な原則も同じだ。しかし「時期が来て、刈り取る」ので、その
場ですぐに結果が出るのではない。すぐに目に見える事ではないの
で、そのため思い違いをしてしまい、どうって事ないと、主を侮っ
てしまう。私たちは日々の生活で、絶えず、御霊か肉のどちらかに
蒔いている。御霊に従って生きるのか、肉の欲望に従い、自分の思
うように生きるのかの選択だ。

人へ愛と親切の種を蒔けば、喜びと主からの報いを刈り取り、自分
にも愛が返る。祈りの種を蒔けば、祈りの答えを刈り取り、宣教の
種を蒔けば、魂の救いを刈り取る。献げ物の種を蒔けば、豊かな物
質的祝福を刈り取る。又、肉に従い、悪意と憎しみの種を蒔けば、
そのように返る。

「善を行なうのに飽いてはいけない」「失望せずにいれば、時期が
来て、刈り取ることになる」と。善を幾ら行なっても結果が無いよ
うに見え、時に、うみ疲れるかもしれない。しかし神の時が来た時
に、必ず刈り取る。だから失望せずに、蒔き続けるようにと。主が
はっきりと言っておられる。必ず報いがあると。

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法則に例外は一つも無いので、人は蒔いたものを必ず刈り取ること
になる。見えるところでなく、主を仰いで、主を畏れて歩めるよう
に。御霊に蒔けるよう、示されている事をお献げして行けるよう祈
ろう。必ず実を刈り取る事になる。何と喜びだろう。