2020年12月21日(月)

「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての惡から私たちをきよめてくださいます」Tヨハネ1:9



罪を言い表わすとは、自分の犯した罪を「その通りです」と認める
事だ。その時、主は真実で正しい方だから、その罪を赦して下さる。
しかし罪の性質は、プライドゆえ、その通りですと認めたくない。
プライドが許さないのだ。あれこれ言い訳で自分を正当化する。こ
れは状況が悪かった、相手が悪い、相手のせいと思いたい。罪を認
める事は非常に痛い。

自我はどうあっても「ごめんなさい」だけは言いたくない。回避し
たい。そうなら赦しを受ける事ができない。赦される喜びを知る事
もない。平安もないままだ。そんな時は、あるがままで主の御前に
行けばよい。「認めたくない」「自分が悪いと思わない」「でも、
助けて導いて下さい」その祈りに主は答えられる。

悔い改める時、罪が赦される。苦しい心に平安が戻り、喜びが戻る。
バテシバとの姦淫とウリヤ殺害の罪を重ねたダビデは「黙っていた
時には、1日中うめいて、骨々は疲れ果て」「御手が昼も夜も重く
のしかかり、骨髄は夏のひでりのように乾ききった」苦しみもだえ
た。だが罪を告白した途端、ダビデは赦された。

主との関係が回復されたダビデは「主にあって、喜び、楽しめ。喜
びの声をあげよ」と。もし、言い訳と弁解に終始し、自分を正当化
しているなら、自らの罪を認めよう。そう出来るよう祈ろう。全き
赦しが与えられ、喜びと安堵、大きな祝福の中に入れられる。弱さ
のゆえに罪を犯してしまうが、赦されて、赦されて、歩める。
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罪の中にいるとわからないが、主の赦しを受け取った時、どれほど
罪が醜いかわかる。言い訳もごまかしも主には不要だ。真実な主は
赦そうと待っていてくださる。赦されてまた主を愛していこう。