2021年01月23日(土)

「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」伝道3:11



天の下では、何事にも定められた「神の時」がある。祈りが答えら
れる最善の時があり、私たちのなすわざにも、最善の時がある。神
の御心にかなった、神が動かれる「時」がある。そうであれば、信
仰人生において、「神の時」を待ことが非常に大切だ。待つ事も学
びだ。

私たちは、待つ事が非常に難しい、なかなか待てない。じっと待つ
のが苦手だ。動いている方が楽だし、何かしている事で自分が安心
できる。ただ待つ事は、不安や焦りとの大きな戦いだ。アブラハム
も待てないで、失敗してしまった。

75歳の時に子を与えると主の約束を受けたが、待てずに、86歳の時
に自分の思いで肉で動いてしまい、女奴隷よりイシマエルを生み出
してしまった。秩序の乱れ、混乱と根深い問題を引き起こした。10
0歳の時、約束の子イサクを得た。

エリメレクとナオミも、飢饉の時に、忍耐し、主を待ち望む事をせ
ずに、家族の幸せを求めて、偶像のはびこる地モアブに移住してし
まった。家族の幸せを求めたのだが、夫も息子も亡くなり、多くの
苦しみを刈り取る事になった。

今、待つ事が御心なら、「あなたがたの確信を投げ捨ててはならな
い。それは大きな報いをもたらす」「神のみこころを行なって、約
束のものを手に入れるために必要なのは忍耐」だ。神の時が満ちな
ければ、幾ら焦っても物事は動かない。逆に神の時が来れば、あれ
ほど微動だにしなかった事態が、驚くほどにあっけなく動き、実現
する。
神の時がすべてだ。焦らず、思い煩わず、神の時を待とう。そうで
きるよう祈ろう。その時、心は平安の内に守られる。

・・・・・・・・・
「神の時」は厳粛だ。主が動かれる、定められた「時」がある。時
でなければ、幾ら動き回っても、徒労と不毛に終わる。逆に神の時
なら、人手によらずに、目の前で門が次々と開かれ、事が進んで行
く。「ひとりでに」門が開いて行く。待てるように祈ろう。