2021年05月23日(日)

「わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え・・」エレミ ヤ33:3



ある人が、責任を負っている仕事で、大きな問題が発生した。大変
な事になったと、パニックだ。心は騒ぎ、動揺する。いつも学んで
いるように、まず祈るのだが、心騒いでどうにもならない。祈って
いる最中も「どうしよう、どうしよう、どうすれば良いのか」と不
安で不安で、頭は巡り、対処法を懸命に考えている。これは祈りで
はないではないか。心が全く静まっておらず、立ってしまっている。

主に向いておらず、問題を見るばかりだ。そのため平安など全く無
く、不安でいっぱいだ。ああなったら、こうなったらと、最悪のシ
ナリオが浮かんで来る。恐れと思い煩いに襲われる。身体にも不調
が来て、苦しくてたまらず、自分でもどうにもならない。心底の助
けを求めて、主に叫んだ。その時、「何も思い煩わず」「やめよ。
わたしこそ神であることを知れ」「立ち返って静かにすれば、あな
たがたは救われ・・」と。

心騒いでどうしようもないのは、自分で何とかしようとしているか
らだと気づかされた。自分の力に頼っているから、何もかもが自分
の肩にかかり、苦しくてたまらない。自分で動くことをやめよ、御
前に静まれ、主に頼り、祈れ、と言われている事がわかった。

問題に飲み込まれてしまっていた自分に気づかされた時、心が落ち
着いた。突如の問題に襲われる時、パニックになってしまうが、主
はその問題もご存じで、共にいて下さる。主と共に問題に当たれる。
どうにも出来ない時は、主に叫ぼう。頼る者を必ず助けて下さる。

・・・・・・・・・
祈るのだが、形ばかりで、頭はあちこちと、対処方法を思い巡らし
ている。「やめよ」「静かにせよ」と立ち止まるよう言われている。
主に頼れず、自分が立ち回っている事をそのまま告げよう。ありの
ままを祈って行くと、不思議に心が落ちついて来る。