2021年08月23日(月)

「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか」マタイ19:16 



この青年は、若くして資産家で、役人であり、名誉も地位も富も持
っていた。彼は「どんな良いことをしたら?」と、主に質問した。
永遠のいのちは行ないでは得られないが、主は、愛をもって彼を導
こうとされ、そのまま受け止められた。「どんな良いことを」に呼
応して、十戒を提示された。「殺してはならない、姦淫してはなら
ない・・」と。

すると彼は「そのようなことはみな、守っている」と答えた。「何
がまだ欠けているのか」と。彼は、外側の行為だけを問題にしてい
た。確かに人を殺した事は無いし、姦淫もしていないし、泥棒もし
ていない・・。だからみな守っていると。しかし内側が問題だ。
「兄弟を憎む者はみな、人殺しです」「情欲をいだいて女を見る者
は、すでに心の中で姦淫を犯した」と。

「隣人をあなた自身のように愛せよ」も、みな守っていると言った
彼に、主は、出来ない事を教えようとされた。「あなたの持ち物を
売り払って貧しい人たちに与えよ」と。彼は、多くの財産を持って
いたので、とても不可能で、主のもとを去ってしまった。「何がま
だ欠けているのか」結局は、隣人を愛する事が出来ない事を、その
まま認めれば良かった。

誰も出来ないことを主はご存じだ。「良い方は、ひとりだけです」、
良いことは出来ない。ただお一人の良い方を信じるところに救いが
ある。主はそこに、彼を導こうとされた。青年は悲しんで去った。
ここから豊かな祝福が始まるのに、彼は去ってしまった。主のもと
にとどまろう。人にできないことが、神にはできる。出来ませんと、
正直に主に向かおう。そこからみわざを拝して行く。
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強がったり、出来なくて当たり前と開きなおったり、弱さをなかな
か認められない者だ。主は出来ない事を知っていてくださる。感謝
して受け止めてもらおう。そこから始めよう。