2022年01月23日(日) 「イエスは彼らに言われた。『子どもたちよ。食べる物がありませ んね。』彼らは答えた。『はい、ありません。』」ヨハネ21:5
「イエスは彼らに言われた。『子どもたちよ。食べる物がありませ んね。』彼らは答えた。『はい、ありません。』」ヨハネ21:5
ペテロは、大好きな主を3度否み、裏切るという大罪を犯してしま い、心はどんなものだったろう。主からガリラヤに行くよう伝えら れ、故郷に戻ったペテロと弟子たち。主に合わせる顔もない。自分 はもう弟子失格で、心は暗く重かったろう。意気喪失、無力な自分 に出来る事は、かつてなりわいにしていた漁しかない。 それでペテロが漁に出ると、他の弟子たちも追随した。しかしベテ ランであるはずの漁においても、魚は一匹も捕れない。ペテロは、 自分の人生の大失敗が脳裏から離れず、思いはそこでいっぱいだっ たろう。主を裏切り、主を捨てた自分。心は空っぽだ。 しかしそんな彼らに、主の方から夜が明けた時、岸べに立たれた。 「食べるものがありませんね」「はい、ありません」「右側に網を おろしなさい」と。岸辺からの声に。ただ言われる通りにすると、 何と驚くばかりの大漁だった。全く同じ光景が以前にもあった。一 瞬、ヨハネが「主です!」と気づいた。ペテロが主に召された時の あの原点だ。 ペテロは、一刻も早く主のもとへ行きたくて、湖に飛び込んだ。三 度否んだペテロ、主を捨てて逃げ去った弟子たち、主はその心の挫 折、後悔、傷みをご存じであった。主の方から弟子たちに朝の食事 を用意し、ペテロを回復させられ、立ち上がらせられた。 私たちの信仰人生のどんな真っ暗な時でも「夜が明けそめた時、イ エスは岸べに」立っておられる。ご自身を現わして下さる時、そこ に慈しみがあり、いやしがある。主の変わらない愛は尽きる事がな い。 ・・・・・・・・・・ 主を裏切ってしまったペテロと弟子たち。心はどんなに重苦しく傷 んだろう。自分の力では、何の実も無く虚しい中、「ありません」 と認めた時に、主からの指示。その通りに従った時に、大漁。主の 愛は変わらない。今、一度従ってみよう。