2022年08月23日(火) 「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみ は尽きないからだ」哀歌3:22
「私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみ は尽きないからだ」哀歌3:22
人は誰しも失敗する。ペテロは、主を否んでしまった。鶏の声を聞 いた時、前に主に言われた言葉に思い至り、主を否んだ罪を自覚 し、 心底悔いた。悔いて、男泣きに泣いた。私たちは失敗する。弱さの ゆえにどうしても失敗してしまう。失敗しない人はいない。 しかしそこで、罪を認め、悔い改めるなら、そこから成長して行け る。それで終わりなのではない。主のあわれみは尽きず、主は豊か に赦し、尚も、その事をも益として下さる。失敗を通して、私たち はへりくだらされる。へりくだらざるを得ない。高ぶっていること ができない。 自分の愚かさに、ただただへりくだるのみだ。ある父親の証しだ。 息子が非行に走り、傷害事件を起こし、警察沙汰となり、大変な事 態になった。大きな衝撃だった。第一線でバリバリ働き、仕事への 野心でいっぱいで、子どもは妻任せで、全く関わって来なかった。 又、形だけのクリスチャンだった。自分本位で、自分の事しか無か った。脳天打ち砕かれた。涙と共に心から悔い改めた。賠償や謝罪 に走り回った。妻にも息子にも詫びた。その時から息子の事しか頭 に無かった。自分に出来る事は何でもした。 自分の罪であり、もう取り返しのつかない歳月に思えたが、主のあ われみは尽きず、主の赦しを受け取れた。罪を犯せば、もう一度、 最初からやり直さなくてはならないが、やり直させて下さる主の恵 みに、感謝でならなかった。もう一度やり直すことができる。どん な時にも、主にあって希望がある。 ------------ 幾つになってもやり直せる。遅すぎることがない。何という主のあ われみだろう。失敗の度にひねくれたり歪んでいくのではなく、低 くされ、小さくされて主に頼りながら歩み続けられる。