2022年10月23日(日)

「私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかな った助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありま せんか」ヘブル4:16



新生して以来、私たちは古い性質と新しい性質が、絶えずあらがっ
ている。霊と肉の戦いの中にあり、再臨の時に、私たちの身体は変
えられる。それまで私たちに肉の弱さがある事を、主はご存じだ。
肉体は疲れるし病気にもなる。主は肉体をとり地上に来られたので、
この事をわかっておられる。

主は、あなたの弱さをご存じで、良き理解者だ。そして主のゆえに、
いつでも恵みの御座に行ける。私たちは力に満ちている時は、主の
ためにどんどん働き、主に近いと感じる。逆に弱さを覚え無力の時
は、どうだろう。主を遠く感じるだろうか。「お前は役に立たな
い」サタンの声が聞こえる。

罪を犯してしまうと「同じ失敗ばかり、成長がない」その声に乗る
と、落ち込んで、ますます主から離れる。御言葉はどう言うだろう。
「あわれみを受け、恵みをいただいて、大胆に恵みの御座に近づこ
う」恵みの御坐に近づける根拠は「あわれみを受け」「恵みをいた
だいて」とあり、「あわれみ」と「恵み」だ。自分の力、功績には
いっさいよらない。自分サイドの何かによらない。

主からの一方的な愛顧だ。主のあわれみと恵みがあるので、どんな
に破れ果てた状態でも、御前に行ける。きれいになって行くのでな
く、あるがままだ。どんな状態でも恵みの御座に行こう。折りに適
った助けを受ける。どこまでも「あわれみ」と「恵み」だ。

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「あわれみを受け」「恵みをいただいて」何という救いであり、慰
め、励ましだろう。受ける資格の無い者が、与えられる愛顧だ。
「おりにかなった助け」何と嬉しい事だろう。どんな時も御座に
近づける。そこは恵みの御座ゆえに。近づいて往こう。