2023年02月20日(月)

「ペテロはイエスに言った。『主よ。あなたが、私の足を洗ってく ださるのですか』」ヨハネ13:6



ある時、主が夕食の席から立ち、手ぬぐいを取り、腰にまとわれ、
一人〃弟子たちの足を洗い、ふき始められた。ペテロの番になる
と、「主が私の足を洗って下さるのですか」「決して洗わないで下
さい」と、余りにも恐れ多くて拒んだ。当時のはきものは、今のサ
ンダルのようなもので、砂ぼこりで足が汚れた。

彼は、自分の汚れた足を、師に洗って頂くなど、とんでもないと思
ったのだ。常識ではそうだろう。しかし信仰的には違う。それなら
自分の汚い部分を、決して人に見せたくないという事だ。私たちも
醜い部分、弱い部分は、おおい隠したい。誰にも知られたくない。
自分も見たくないし、認めたくない。

しかし主はそこをあらわにし、主が洗わなければ、何の関係も無く
なると言われた。その部分でこそ、主との関係が深められるのだ
と。私達は見栄えの良いところ、能力のあるところを見せたい。人
に認められたいし、評価されたい。しかし主との関係ではそうでは
ない。

弱い、醜い、汚い部分をすべて御前に広げ、明らかにする時に、赦
され、いやされ、新たにされ、力を与えられ、造り変えられて行
く。主は弱さをご存じで、罪を赦し、傷をいやして下さる。主に心
を開き、あるがままを打ち明けて行く事だ。その事により主との関
係が親密にされて行く。

この世の価値観は弱さは悪で、強さが善だ。しかし弱さの中にこそ
主の力が臨み、主により強くされて行く。弱さや罪を認めずに、隠
す事こそ、主との関係を妨げてしまう。「わたしが洗わなければ、
あなたはわたしと何の関係もない」と。汚い足を差し出して、主に
洗って頂こう。
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愚痴やネガティブな思いも口に出さず主に告げて行くなら祈りだ。
弱い、汚い所を主に差し出し、主の取りあつかいに委ねていこう。
主に洗っていただこう。