2024年04月22日(月) 「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。」 ヨハネ5:8
「イエスは彼に言われた。『起きて、床を取り上げて歩きなさい』 すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。」 ヨハネ5:8
大勢の病人が、ベテスダの池に集まっていた。そこは、主の使いが 降りて、水を動かした時に、一番に入った者は、どんな病気でもい やされた。そこに38年間、病気の男性がいた。主は、大勢いる中 で、長い病にある彼に目を留められた。そして「よくなりたいか」 と問われた。 彼は「よくなりたい」と答えたのでなく、池に自分を入れてくれる 人がいない、いつも先を越される、と答えた。介助者のいる人が、 先を越して入ってしまうので、自分は直らないのだと。「よくなり たい」と、真っ直ぐに主に向かい、求めるのでなく、人のせいに し、言い訳をしていた。 その心を見られた主は、「わたしが池に入れて上げよう」と言われ たのでなく、「起きて、床を取り上げて歩きなさい」と言われた。 主が、いやし主である事、そして人に責任転嫁するのでなく、しっ かり自分の足で立って、自分の責任で歩めと。彼は、主と主の言葉 を受け取り、信じた。その信仰のゆえに、すぐに立って床を取り上 げて歩き出した。みわざが成された。 もし、主の言葉を信じなければ、そんな事不可能だと思ったなら、 決して起きようとしなかった。意志を向けて、起き上がろうとした 時に、主の力が臨み、奇跡が起きた。私たちはどうだろう。責任転 嫁ばかりしているだろうか。ああしてくれない、こうしてくれな い、だから自分はこうなのだと、人のせいにし、いつも言い訳し、 愚痴と不平不満、自己憐憫の中にいるだろうか。 自分の足で立って、主に拠り頼んで歩めと言われている。その時、 生きている事の喜びと実感が与えられる。主と共に生き生きと生 きて行ける。主に信仰を向けて行けるよう、助けを求めて祈ろう。 -------------- 変化するより、今のままでいいかと諦めているところはないだろ うか。どうせ駄目だろうと祈らなければ、諦めている事も忘れて しまう。よくなりたいところは何処だろう。主に助けを求めよう。