2024年06月21日(金)

「患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が 練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知ってい るからです」ローマ5:3



この世の宗教は、信心すると悪い事が起きないからと言う。そのた
めの信心だ。商売繁盛、家内安全、五穀豊穣、無病息災・・受験はす
べて合格、畑はすべて豊作、悪い事が起きるなら、信心している意
味が無いと。そんな神は要らないと。では、もしクリスチャンの畑
は常に豊作、商売はいつも繁盛、受験はすべて合格、病気けがは、
無しならどうだろう。皆が殺到するのではないだろうか。

しかし御言葉はそうは言わない。誰しも苦しい事は嫌で避けたい
が、信仰者には、必ず試練が臨む。御心のままに、合格あり不合格
もあり、豊作も不作も通る。病気にもなるし、けがもする。しかし
それら試練から、忍耐が生まれ、忍耐の中でこそ、品性が培われて
行くのだと。

愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和、忠実、自制、これらの
品性が試練を忍耐する中で、実として人格に培われ、備わって行
く。だから、「患難さえも喜んでいます」と。もし神無しなら、試
練は、ただ痛いだけだけだ。何の益も無く、学ぶことも出来ない。
それどころか、むしろ逆に、愚痴と不満、又、怒りでいっぱいにな
る。

信仰者も、試練の時に、もし主が飛んでいるなら、不満と怒り、反
抗心、妬みで屈折し、真逆の方向に向き、他人と比較し「皆は幸せ
で、自分は不幸」となってしまう。そこに悪魔が、からんでいる。
要・警戒だ。主から目を離さず、患難を喜べませんと正直に向かお
う。正直に祈る時、悪魔の入る余地を無くし、導かれる。
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患難を喜べませんと、素直に言える主を知っているのは何という感
謝だろう。患難の中でも主の恵みを信じていける。今は喜べなくて
も、患難にも主との平和があり、確信があり、主に委ねていける。