2024年09月22日(日)

「この後、イエスはテベリヤの湖畔で、もう一度ご自身を弟子たち に現わされた。その現わされた次第はこうであった」ヨハネ21:1


ペテロと弟子たちは、最も重大な時に、主を否み、裏切り、逃亡した。
その後、主に言われ、ガリラヤに戻った彼らの心は、どんなものだっ
たろう。命をかけて従うと、ペテロの満々の自信は粉々に、粉砕され
た。心暗く重く、なすすべなく、捨てた網をもう一度取り、唯一自信の
ある漁をする。しかし一匹も捕れない。虚無感、後悔、心痛、落胆、
挫折感だったろうか。

夜明け頃、岸辺の見知らぬ人が、「子どもたちよ。食べる物があり
ませんね」と叫んだ。誰かはわからないまま、「はい、ありません」
と答えた。すると直ちに「舟の右側に網をおろせ。そうすればとれ
る」との指示。その声に従い、網を下ろした。すると何と驚くばかり
の大漁だった。以前の全く同じ光景を、ヨハネが思い出し、瞬間
「主です!」と。

ペテロは、主に会いたい一心で、湖に飛び込んだ。上がるとそこに
主がおられ、彼らのために、魚とパンの朝食が用意されていた。
「なぜ、裏切ったのか」と一言も、叱りも責めもされない。三回の後悔
してもしきれない裏切りは、「わたしを愛しますか」の。主の三回の問
いかけにより、いやされて、おおわれて行った。

そして「羊を飼いなさい」と今後の牧会の働きを委ねられた。主の御
心に添った悲しみは、悔いのない、救いに至る悔い改めを生じさせ
る。悔い改めにより、罪は完全に赦され、信仰を回復させて下さる。
弟子たちへの慈しみとご愛は、私たちへも同じように向けられ、注が
れている。豊かな赦しが備えられている。

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人間なので、どうしても失敗してしまう。しかし、悔い改める時、その
失敗を赦して下さるとは、何という恵みだろう。自分では意識に残っ
ているが、神は二度と思い出さないと。あわれみの中で、赦されて
〃、更に主の愛を知って行ける。