2024年11月22日(金) 「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませら れた全行程を覚えていなければならない」申命記8:2
「あなたの神、主が、この四十年の間、荒野であなたを歩ませら れた全行程を覚えていなければならない」申命記8:2
モーセに導かれたイスラエルの民は、いまだかつて見た事のない、 主の偉大なる奇跡により、出エジプトを果たした。苦難の民が叫ん だ主への求めへの、答えであった。彼らがエジプトから出た先は、 広大な、何も無い厳しい荒野だった。近道があったのだが、強敵ペ リシテがいるため、突然戦闘となると、民は心が折れて、引き返す といけないからと。 そのため荒野に導かれ、主はこれを民への訓練の時とされた。カナ ンへの到達だけでなく、その「プロセス」を大切にされた。「主は、 あなたを苦しめ、飢えさせて」とあり、主が苦しめられるとある。 試練により、御言葉によって生きる事を、体得できるようにされた。 私たちも問題解決のプロセスにより、多くの霊的学びを得る。 紅海横断の大賛美、大感謝で、喜び踊った民たちは、その大感謝も 束の間で、目の前の厳しい現実に、手の平返しで、すぐに水が無い、 食べ物が無いと不平不満、愚痴に変わった。そんな民に、主は水を 与え、日々に天からのマナを与え、養い続けられた。そして主は、 道中をずっと、昼は雲の柱、夜は火の柱を備えられた。 主はずっと共におられ、守られ、その雲と火の柱により行くべき道 を示された。時には、それが動くまでずっととどまった。信仰生活 で、前進したいが、じっと待つ事が、導きである事を経験する。そ して信仰歴の長い信仰者は、必ず苦しみを通っている。それも、多 くの苦しみを通っている。 心が変えられて、主の御前に砕かれ、素直にされて行く歴史だ。民 が旅路にある間「いつも」主の臨在があったように、私たちも、い つも主が共におられたから今があり、又、これからも世の終わりま で、いつも共におられる。 -------------- 今、感謝したと思えば、すぐに落胆し不安になる者だが、様々な取 扱いを経て、主の恵みを具体的に味わい、明け渡すことが少しずつ 楽にできるようにされた。主は共にいて導き続けてくださる。