2025年02月20日(木) 「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て 行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた」 ヨハネ8:9
「彼らはそれを聞くと、年長者たちから始めて、ひとりひとり出て 行き、イエスがひとり残された。女はそのままそこにいた」 ヨハネ8:9
パリサイ人や律法学者たちが、姦淫の場で捕えた女性を引きずり出 した。そしてその女性を利用して、主を罠にかけようとたくらんだ。 愛のかけらもなく、何と冷ややかな事だろう。この場合、律法では 石打ちの刑だが、あなたはどうするのかと。主は黙ったままであっ たが、彼らがしつこく問い続けて止めないので、「あなたがたの内 で、罪の無い者が、最初に石を投げよ」と言われた。 すると一人また一人と、結局、一人も残らず、全員が出て行き、誰 も石を投げる者がいなかった。つまり彼らは、自分の心の内を見た。 そして、何と罪を認めたのだ。内側を照らされ、真実に向き合うチ ャンスだった。自分の姿に正面から向き合う事ができた。又、逃げ る事もできた。しかしその時、彼らは向き合うことを避けて、逃げ たのだった。 主に導かれて、自分の罪を見たのに、向き合おうとしなかった。だ が、女性は逃げなかった。そのままそこにいた。裁きからも逃れよ うとせずに、今からどうなろうと、主のもとにとどまった。彼ら全 員の冷たい見下した裁きの中で、主の愛のまなざしを全身に感じた。 その主の愛に身を委ねた。その時「あなたを罪に定めない」との主 の赦しを受け取った。十字架の赦しだった。 私たちはどうだろう。御霊が罪を照らし出される。その罪を認め、 悔い改める時、赦される。何という恵みだろう。真に救われ、新し い歩みを始める事ができる。目をそらしてしまうなら、闇の中であ って、ますます見えなくなる。罪がわかるなら、御霊の光によるこ とだ。悔い改めて、新しい歩みに入れて頂こう。 --------------- 罪は表に出なければ誰にもわからず、見ないふりも出来るが、御霊 の平安はない。示されているなら悔い改めよう。主の御心の内を歩 みたい。主のあわれみを受け取ろう。