2025年03月23日(日)

「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配して くださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさら ない」詩篇55:22



私たちは、日常生活でくよくよと心配し、思い煩う。この事、あの
事と次から次へと、心配は尽きる事がない。しかし御言葉を見る
と何と言ってるだろう。昔、イスラエルが、モーセに導かれてエジ
プトを出た時に、精鋭屈強のエジプト軍が背後にどんどん迫り、
目の前は紅海という、絶体絶命の危機に陥った。戦闘訓練を受
けたエジプト軍に、戦い方など全く知らない民が、立ち向かえる
わけもない。

前進も後退も出来ず、まさに崖っぷちだ。その時に、主は大い
なる奇跡をされ、海を分け、海の真っ只中に、道を造られた。何
という事だろう。海の中に、道が現れるとは。どんなに絶体絶命の
状況でも、主は、そこに道を造られる。食物も水も無い荒野では、
天からマナを降らせ、岩から水を出された。そして約束の地カナ
ンまで、道中は雲の柱、火の柱で導かれた。

カナンを前にしては、船も橋も無い、とうとうと水の溢れるヨルダン
川の水をせき止め渡らせ、更に難攻不落のエリコの城壁を崩され
た。あの絶対に滅びない、バビロンを滅ぼし、不滅と言われたロー
マも倒された。主に不可能は一つもない。すべては主の支配と主
権の中だ。その全能の主が、あなたを愛し、目を留め、心配して
下さっている。思い煩うな、主に委ねよと言われている。

実は、問題は、問題ではない。問題の中で主を信頼しない事が、
問題だ。目の前の困難を。繰り返し〃心に思い、不安と恐怖に
飲み込まれてしまう。悩みを見続けて、恐れのどん底に陥る。
逆に、それだけ繰り返し、恵みと感謝に目を向けるなら、どんな
に幸いだろう。主に問題を渡し、主の導きに従おう。その時、目
の前に立ちはだかる困難の城壁が崩れ、道が備えられている
事を発見して行く。ありのまま祈り、従えるよう祈ろう。

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頭では、ゆだねることが大切だと、よくわかるのだが、それが
なかなかできない事が悩みだ。ゆだねるというのは、御心のまま
でOKという事なので、自分の思いが強いと難しい。出来ない事を
認めて、助けを求めて祈ろう。ゆだねる時、平安が来る。