2025年05月23日(金) 「主は再びシロで現われた。主のことばによって、主がご自身を シロでサムエルに現わされたからである」Tサムエル3:21
「主は再びシロで現われた。主のことばによって、主がご自身を シロでサムエルに現わされたからである」Tサムエル3:21
当時、主のことばは、まれにしかなく、幻も示されなかった。祭司 エリがサムエルを養育していた中、突然ある日、少年サムエルに主 の御声が臨んだ。サムエルはエリに問い、その指示通りに「お話し 下さい。しもべは聞いております」と答えた。すると、その最初の 主からのメッセージは、何とエリの家への裁きであった。「彼の家 を永遠にさばく。自分の息子たちが呪いを招くような事をしていな がら戒めなかった罪による」と。 とんでもなく厳しい辛い言葉だった。相手は自分の師であるエリだ。 サムエルは、エリに語ることを恐れたが、しかし主の言葉をありの まま伝えた。預言者とは、神から受けた言葉を、忠実にその通りに 民に語る人のことだ。どんなに痛い辛い言葉であろうと、その通り に語らねばならない。これから預言者として立てられるサムエルへ の、最初のテストであったかも知れない。 私たちも、主の御前で「しもべは聞いております」と言いつつも、 罪の指摘や、自我の強い、自己中心の姿を指摘される痛い言葉、又、 自分の思いやプランと異なる言葉、矯正される言葉は、聞きたくな くて耳をふさぐだろうか。しかし痛い言葉こそが、実は聞くべき恵 みの言葉だ。それは真実な愛の言葉であり、自分が変えられ、主の 似姿へと一歩〃成長させてくれる。 御言葉が霊であり、命だ。私たちは御言葉により変えられて行く。 主は、絶えず御声をかけ、慰め励まし、指針を与えて下さる。私た ちは主の言葉によって、主を知って行く。「しもべは聞いておりま す」とのへりくだった姿勢で、祈りを持って耳を傾けよう。 ------------ 示された耳の痛い御言葉は、無理だと思えても、しっかり受け取り、 自分の内にとどめて、実現できるように祈ろう。示されることが感 謝だ。主が豊かに導き祈りを叶えてくださる。