2025年06月22日(日) 「心を尽くして主に拠り頼め・・あなたの行く所どこにおいても主 を認めよ」箴言3:5
「心を尽くして主に拠り頼め・・あなたの行く所どこにおいても主 を認めよ」箴言3:5
あなたの行く所「どこにおいても」主を認めよと言われている。 「この所」なら「あの所」なら、ではなく。又、大きな事態、小さな事 柄とも言っていない。すべての出来事において、主を認めよと。 私たちは、特別な事、大変な事、非常事態は、主のもとへ持っ て行くが、あとは自分の力で、自分の知恵、判断でやって行っ てしまうだろうか。 つまり、自分の悟りに頼って生きてしまう。自分で出来ると思っ てしまうからだ。しかし物事の大小で無く、すべてにおいて、主 を認めよと言っている。そうすれば、道をまっすぐにして導かれ ると。突如、何かが起きると、すぐ自分で解決しようとしていな いだろうか。又、物事がうまく行かなかった時、失敗してしまっ た時は、どうだろう。自分の悟りに頼った結果ではなかったか。 目の前の一つ〃を祈りによって対応しよう。それが喜びであろ うと、悲しみ、苦しみであろうと、「主を認めよ」。主が目の前に 置かれている事に、主を認めよう。苦しい事、辛い事、理不尽 な事等は、非常に受け入れ難いが、そこに主を認める時に、 「そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる」。 まず心に平安が与えられ、守られる。困難な状況の中にも平安 が与えられ、そしてその事態が導かれて行く。続けて「自分を 知恵のある者と思うな」とあり、自分の判断は正しい、自分は物 事をよく見極められる、なすべき事をする事ができると自己過信 するなと。絶えず主に拠り頼み、祈れと。そうするなら、主は目 の前の一歩一歩を確かに導いて下さる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 「どこにおいても」とあり、目の前の一つ一つの事柄に、主を 認めよとあり、そうできるよう祈ろう。そう出来ないので、思い 煩い、不満と鬱屈になり、逆方向へ向かう。主を認めおる時、 道をまっすぐに=まず心を平安にして下さる。