2025年07月23日(水)

「それによって、私たちは、自分が真理に属するものであることを  知り、そして、神の御前に心を安らかにされるのです」 Tヨハネ3:19



目の前に困っている人がいた場合、どうだろう。良きサマリヤ人の
箇所の、祭司やレビ人のようだろうか。関わるのが面倒で、とにか
く関わりを避けたくて「反対側を通り過ぎ」、見て見ぬふりをして
しまうだろうか。時間と労力を取られたくない、又、仕事が増える
事が面倒で、経済的な犠牲も払いたくない。「寄るべのない者の叫
びに耳を閉じる」だろうか。

人は、自分が聞きたい事だけを選んで、聞いていると言われる。聞
きたくない事は耳をふさぐ。だから聞こえない。そして聞かなかっ
た事にすれば、自分を正当化できて、悩まずに済むし、とがめも感
じなくて済む。しかし御言葉によると、困っている人の必要を無視
すると、「自分が呼ぶ時に答えられない」とある。自分の祈りが聞
かれなくなってしまう。

「口先だけでなく、行ないと真実をもって愛そう」そうする時、
「自分の心に責められなければ、大胆に神の御前に出ることができ」
「求めるものは何でも神からいただける」「なぜなら、神の命令を
守り、神に喜ばれることを行なっているから」だと。行ないと真実
をもって愛する時、自らの祈りが主によって聞かれて行く。

何という恵みで嬉しい事だろう。そして主との間に、とがめや妨げ
が無いので、御霊の平安に満たされる。この、世には無い、主の平
安は、何ものにも代えられない。主は、すべての良いわざに溢れる
者とするために、あらゆる恵みを溢れるばかりに与えて下さる。尚
も恵みに満たして下さる。
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してはいけない事は祈れても、するべき事には、なかなか気が回ら
ない。耳も目もふさがず、愛する事が出来るようにと、主に求めて
行きたい。足らないものを、主に満たしてもらおう。