2025年09月22日(月)

「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、 私の思い煩いを知ってください」詩篇139:23


人は、だいたい悲観的思考に傾くと言われるが、どうだろう。コッ
プに水が半分あると、人は「半分しかない」「半分もある」に分か
れる。あなたは心配症だろうか。ああでも、こうでもないと、くよ
くよと、まだ起きてもいない事を思い煩うだろうか。それなら、平
安に喜び楽しんで過ごす時間を、つぶしてしまう事になる。

だが、思い煩いの中にいると、なかなか気づけない。今後のあれこ
れ煩うのは、亡霊だ。現実では無く、実際に起きてもいない事を、
主もどうにもできない。「思い煩い」とは「心を分割する」との意
味があり、あの方面この方面へと、心が分かたれる。マルタが、主
をもてなすための、準備にあれこれと心が分割し、焦りイラ立った。

何もせず座っているマリヤに怒りがわき、それを許している主を責
めた。自分の力で頑張る時に、私たちは思い煩う。自分の肩にすべ
ての重荷がかかり、担い切れずに、いら立つからだ。主に頼らず、
自力で歩む時に、思い煩いに襲われる。又、私たちは、人が気にな
って仕方がない。

あっちにも、こっちにも良い顔をし、良く思われたい。嫌われたく
ない。主の目でなく、人の目を気にすると、どう思われるかが、気
になって仕方が無い。あの言葉、この態度と思い煩いの種になる。
とにかく思い煩いが来ると、それを主に持って行こう。

そのままの思い、心の悶々を主に告げて、いっさいゆだねよと、言
われる主にお任せしよう。ゆだねる時に、その問題が主の手に渡る
ので、こちらにはもう無い。それを信じる時に、重荷を下ろせて、
心が平安にされる。
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思い煩うとき、よく失敗するが、主から離れている事に気づけない。
自分で心配し、自分を守ろうとして不安に陥る。主の恵みと平安を
見失わず、主に何でも祈り、思いを知っていただこう。主はいつも
支えてくださる。