2004年05月23日(日)

「外部の人たちは、神がおさばきになります。その悪い人をあなたがたの中から取り除きなさい」(Tコリント5:13)

この世の中には裁判所があり、犯罪は正しく裁かれる。犯した罪を償うため、刑務所で服役する。キリストの御名を汚す教会員に対して、御言葉は断固正しい処置を取るべきと告げている。その本人のためであり、教会のためだ。神の御名が世の人の前に汚される事になるからだ。御名が侮られ、軽んじられる事になる。クリスチャンは自分のした事の責任を取るべきだ。もし、罪を犯してしまったら、はっきりと自分の罪を認め、告白し悔い改めるべきだ。その時、主イエスの十字架で流された血潮はすべての罪から私達をきよめ、赦される。もし、罪が無いというなら、神のみことばも私達の内に無い。もし、兄姉が罪を犯していたら愛を持って訓戒すべきだ。
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罪を犯してしまうが、罪を認め悔い改めるなら赦して下さる。御霊が罪を示しておられるのに、罪を認めないなら、真理は私の内にない。又、御霊を偽り者とする事になり、みことばはもうない。恐ろしい状態に陥る。御霊の示しに敏感であろう。過ちから救われる。あわれみは尽きず豊かに赦して下さる。