2006年01月23日(月) 「わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない道を通り行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平らにする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない」(イザヤ42:16)
「わたしは盲人に、彼らの知らない道を歩ませ、彼らの知らない道を通り行かせる。彼らの前でやみを光に、でこぼこの道を平らにする。これらのことをわたしがして、彼らを見捨てない」(イザヤ42:16)
聖書に放蕩息子が出て来るが、世 の価値観、常識、培われた古い価 値観だと、私たちは、だいたい兄 の方だ。放蕩三昧で戻り、宴会と は何事か。どの面下げて帰れるの か。すぐに許すのは甘い。本人の ためにならない。社会はもっと厳 しい・・と、無条件の父の愛が理 解できない。世の常識では甘いと しか見えない。無条件などわから ない世界だ。神の愛は見たことも 聞いたことも無い愛だ。この世の 愛はすべて条件付きゆえ、今まで の価値観では測れないのだ。全く わからない。「彼らの知らない道」 だ。この神の愛を、御霊により、 御言葉により、互いに愛し合うこ とにより知って行けるとは、何と いう幸い。神はその愛を教えるた めに、盲人の手を取って、まだ知 らない通り道へ連れて行って下さ る。一生をかけて、この愛の高さ 深さ広さを知って行けるとは、何 という喜び。 ---------------------- 知らない道を歩んでいる盲人の私 達も、神様の全き守りの御手にひ かれている。古い価値観に引っ張 られ悪戦苦闘するのではなく、今 週も喜んで御霊様に従おう。