2006年02月20日(月) 「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして、今、ベニヤミンも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ」(創世記42:36)
「あなたがたはもう、私に子を失わせている。ヨセフはいなくなった。シメオンもいなくなった。そして、今、ベニヤミンも取ろうとしている。こんなことがみな、私にふりかかって来るのだ」(創世記42:36)
ヤコブの上に、次から次へと問 題だらけ。試練に次ぐ試練とい う状況だ。二重三重の問題に、 なすすべもないような状態だ。 最愛の子達を失い、今また、 目に入れても痛くないほど可 愛いベニヤミンをも失おうと している。「私も、失うとき には、失うのだ」次々と最愛 の、大切なものが自分の手か ら取られて行く。一見、深い 絶望と落胆だ。しかし、実際 は違っていたのだ。事態が静 まり、物事が落ち着く先に落 ち着いてみると、何と、死ん だはずのヨセフが生きており、 シメオンも無事、家族皆餓死 するところを、食糧は備えら れており、家族皆が共に住め るという、何もかもが夢のよ うな事態に一変。あなたも今、 窮地で、四方真っ暗闇だろう か。神にはご計画と、「しよ うとしていること」ヨハネ6: 6 があられる。神を見上げて 信じていよう。見えたなら信 仰は不要、何も見えない中で 信じるのが信仰だ。 ------------------------ 見える世界だけで生きている なら信仰はいらない。今の状 態を信仰の目で見ていこう。 約束のみことばは何と言って いるのか。見えるところに負 けず今週も喜んで歩もう。