2006年04月22日(土)

「賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた」マタイ25:4

ともしびを持って花婿を迎える十人の娘。
五人は愚かで、五人は賢かった。どちらも、
ともしびを持ち、どちらも眠ってしまった。
そこまでは同じだ。違いは入れ物に油を持
っていた事、そこだけだ。油を用意してい
た事が賢いと言われたのだ。愚かな娘達は
備えていなかったので肝心な時に間に合わ
ず、祝宴に入れなかった。備えなかった事
が愚かだった。主を信じた私達は皆、天国
へ行ける。しかし、その信仰生活は、日々
主の再臨を見据えて用意をしているだろうか。
聖霊に満たされる事を求めて、豊かにともし
びが赤々と点されているか。油が芯にしみ
て行かなければ、ともしびは輝かない。信
仰生活も聖霊に満たされなければ、輝けな
い。今、生活がマンネリになって、恵みを
忘れて惰性に流されていないか。今は求め
る者に誰にでも聖霊は与えられる。今一度
主の十字架の苦しみを覚えて、赦された者
として恵みの中にしっかり立とう。感謝が
失せると倦怠だ。花婿を迎える時が「必ず」
来る事を、その事を今一度覚えよう。
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目の前の日常をこなす事に流されていない
か。「明日は」「明日こそはちゃんと交わ
ろう」と、信仰のこと、神様のことを後回
しに後回しにしている内に、時すでに遅し
という事になる。人生で一番大切なものに、
今日、目を向けよう。